北東インドの焼畑文化
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ミゾラム州とその周辺 [ TOP ]

下記の文章は、アジアの焼き畑を特集した『自然と文化』第76号(発行元:日本ナショナルトラスト、2004年9月30日発行)に横田が寄稿した文章です。


地域と概略

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北東インドと呼ばれる地域は、コルカタ(旧称カルカッタ)から東、バングラデッシュの北側から東側を取り囲むように位置し、中心こそ紅茶で有名なアッサムであるが、周辺各州はモンゴル系少数民族が多く住む、一般に知られているインドとは別世界である。そこには7つの州が存在するので別称セブンシスターズとも呼ばれている。ミャンマー西部に接する国境線は険しい山岳地帯で、ここから南に走るアラカン山脈に至る地域では焼畑が伝統的な農業手法で現在でも続いている。そしてここが私の活動地域、ミゾラムである。

ここでは伝統的に焼畑地で米を主に栽培し、合わせてとうもろこし、大豆、小豆(ささげ)、カボチャ、ナス、唐辛子、生姜などをその一角で栽培してきた。その他の副食は様々な種類の木の葉や新芽を森の中から取ってくる。焼畑地は夏作の一期だけしか使わず、収穫が終わればそれでお終い、後はそのまま放置され、やがてそこは竹林となる。冬作は家の周りでアブラナやインゲンを主に栽培し、それは副食用となる。菜種を絞る事はなく、食用油は豚の脂身を使ってきた。豚の脂身は需要に応じて屠殺すればよく、炉辺に吊るして常に燻しておけば保存が出来、また搾油施設や保存施設が不要で非常に合理的だ。冬は乾季となり全く雨が降らなくなる。特に乾季の終わり頃の2月から3月は完全に乾ききり、野菜はほとんど無く、様々な種類の木の葉をとってきて副食としている。

食文化はきわめて貧相であり、世界中を放浪している友人達の各地の食文化の話を総合すると、ここは世界有数の貧弱さを誇れるようだ。料理法は基本的に米でも野菜でも肉でも水で煮るだけ。煮汁も一緒に食べる。ここは昔、水と塩が大変貴重だったため、水や塩を捨てるような事が出来なかったため、料理が全く発達しなかったのだろう。調味料は唐辛子、乾燥納豆、灰汁のみ。塩はほとんど料理には入れず、水で煮ただけのものを別にとった塩を舐めながら食べる。冬瓜、はやと瓜、油菜、最近になって入ってきたキャベツなども水で煮るだけである。しかもみな茹で過ぎで、野菜の色が落ちてグチャグチャになるまで煮る。歯ごたえも無い。はっきり言って美味しく食べられない。料理前に刻む事もしないので葉物は丸ごと、瓜類はいくつかに割るのみ。ここでは切る事は無い。割るのだ。切れる刃物を作る技術がないのも料理を貧弱にしているのかもしれない。そのため刃を引いて切る事も知らない。

カボチャの蔓、里芋の茎や葉、サツマイモの蔓や葉など、日本では戦時中の非常食がここでは日常食べられているので畑の残渣が極端に少ない。また、枯れたものを見ると条件反射的に火を放ってしまうらしい。畑に稲藁が残っていると燃やしてしまう。結局最後に畑には何も残らない。そして次の雨季に表土が流されてしまい、さらに土地が枯れてしまう。

民族

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これらの単純な原始的思考や食文化の未成熟は、彼らの移動民族だった事と首狩りの歴史から来ているものと思われる。彼らの起源は正確には明らかではないが、この地域一帯はタイやミャンマーの少数民族と同様に中国・雲南省の少数民族が移動してきたと言われている。その過程で首狩りの風習が出来、民族や家族を守るために山の頂に部落を作りながら移動してきた。山頂に部落を作ると自然の要塞となり、敵から身を守りやすいのである。また、この地域はトラも生息しており、低地にはマラリアも多い事からこの方が都合が良かったのである。首刈りの風習は100年前にキリスト教が入り、教育・病院と言う魔法の布教に押され徐々に無くなり、40年前には完全に無くなっている。しかし、首狩りの風習が無くなった今でも山頂に暮らしているので万年水不足、収穫物はみな担ぎ上げなくてはならないので重労働となる。インフラ整備は難しい。これがこの民族の発展を阻害している。

焼畑の手法

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たぶん、私は日本人の中でも数少ない焼畑の経験者であろう。常畑への転作指導をしている農家の畑で、私は焼畑を学んだ。農家は焼畑でないと絶対に収穫できないと信じているので、常畑を指導しても減収を恐れて焼畑も止めてくれないのである。仕方なしに私も経験することを目的にこの2年彼らに付き合ったので、焼畑を手伝うことで常畑との比較が体験できたのである。

通常、年が明けてから森(ほとんどが竹林)の伐採を始め、2月までには伐採を完了し、3月中旬にチャプチャークーッと言う伐採完了と豊作を願うお祭りを行い、3月下旬から4月下旬までの間に焼く。この季節は焼畑の煙により空がどんよりと曇る事が多い。以前は航空機の運行の邪魔をする事も多かった。この煙が道路を塞いでしまうことは今でもしょっちゅうである。また、夜は暗闇の中の山肌に山火事のごとく鮮やかなオレンジ色の火が連なり異様な光景をみせる。

米は4月に入り雨が少しずつ振り出してから、下旬の新月の日に米を播種する。月が出ていると撒いた籾が虫に食われると信じられている。(実際はそんな事は無い。私の都合に合わせて月夜の日に播種したが変らなかった。) 合わせて畑の一角に夏作の種を蒔く。草取りは7月から9月にかけて2〜3回行うが、ほとんどは地下茎の強い笹などである。畑作の手法自体は非常に単純である。野菜類も苗作りなどほとんどせず、種を蒔くだけ。密になったところを間引いて移植する程度である。焼畑は山を焼くことで整地、施肥、除草が一遍で済んでしまう。あとは適期に種を蒔いて収穫を待つ。収穫が済めばあとは自然に返すのみ。実際に農作業の時間が極端に短い。

米の収穫は十月下旬から11月初旬で、その間随時野菜などは収穫していく。11月下旬のポールクーッと言う収穫祭で焼畑での農作業は終わりである。チャプチャークーッは民族衣装を着飾って様々な踊りを披露し盛大に行なわれるのに対し、何故か収穫祭は質素で子供に卵を配るだけである。

焼畑の問題点

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ここの焼畑はわずか1回使っただけで移動してしまう。毎年移動するのだ。それでも以前は15年〜20年のサイクルであったという。しかし今は最短4年まで短縮され、これでは土地が充分に回復しないので結果的に収量が落ち、それを補うために焼畑の面積が増えるという悪循環にはまる。また、換金作物である生姜や唐辛子の単一栽培を焼畑で始めるようになったのも土地の疲弊を増幅させてしまっている。唐辛子やナスはここでは多年生であり、以前は庭の一角で自家用を毎年収穫をしていたものが、唐辛子が換金作物となってからは焼畑地での1年生作物になってしまった。

インドではまだ配給制度が残っており、米を自家用に作るより、格安の配給米を買って換金作物を栽培した方が農家にとって収入が良くなるのである。そしてこの安易な現金獲得手段が『土地疲弊−焼畑面積拡大−焼畑サイクル短縮』の悪循環を加速させている。

ここの民族の人々の意識としての問題点は、1年しか使わない焼畑習慣により土地が使い捨て文化となっていることである。次の作物の為に土地を肥やすことが考えられない。つまり長期的な視点に立てないのである。これは土地所有制度に大きな問題があり、ほとんどの農民は土地を持たず村の共有地を使う。焼畑地は毎年村長が共有地の中から割り当てるので、数年後にまた自分が使えるとは限らない。誰が使うとも分からない土地を肥やそうという発想が育たないのである。

基本的に焼畑自体が以前の状態、つまり多産多死型の人口が安定した状態で続けられることについては問題無い筈である。実際、焼畑は熱帯地方に適合した農業であり、計画的に行えるのであれば止める必要は無いと言う意見も多い。焼畑が問題になるのはその森林破壊で、私の活動している地域インド・ミゾラム州でも問題になっている。これまで続けられてきた伝統的な焼畑が何故、今になって環境破壊になるのか? 

人々は保健衛生・医療の普及による人口増加に収穫量が見合わないと言う。確かに人口は増えている。DDTと蚊帳の普及によりマラリアやサソリは激減し、銃の普及でトラが激減、各種抗生物質の普及で感染症も激減しており、家族計画のみが普及せず人口のみが激増している。しかし、私の居るミゾラム州に関してはそれでも人口密度はかなり低い。

私は人々の食生活の変化も1つの問題だと思っている。つまり肉食と米食だ。昔は祭りなどの行事の折にしか食べられなかったであろうものを日常的に食べるようになった事。これにより家畜の餌に回る穀物の消費量が飛躍的に増えてしまったのだ。米食に極端に傾いた事も上げられよう。日本人の主食は米だと信じている人が大半だが、つい50年前までは、農村では雑穀飯を食べてきたのだ。しかし、こんな事を言っても始まらない。人間の食生活が環境を圧迫しているのは事実だ。食文化の変化、人口増加に見合う農業形態も変えなくてはならない。これを変えられないところに焼畑による環境破壊の問題がある。

そして換金作物を焼畑で行い始めたのが新たな問題。中央政府から押し付けられる栽培計画。州政府はそれに従うと中央からの莫大な補助金が手に入り、役人の懐を暖める。結局無策。政府高官が金に躍らされて適切な栽培計画が立てられない。加えて商人の勝手な買い付けに農民は踊らされる。市場がだぶつけば買い取ってはもらえないので大変危険だが、たまたま大儲けしたものが出ると皆それに従ってしまう。特に生姜栽培は市場価格の変動が激しく、今では二束三文になる事がほとんどだが、それでも農民は生姜成金を夢見てしまう。焼畑地での生姜栽培は簡単だ。傾斜地であるため水はけが良く、根腐れを起こさないためだ。しかし、生姜栽培は表土流亡を起こし、土地を更に疲弊させている。

ミゾラムでの根本的な問題は、山頂に暮らしているための様々な弊害だ。生活地は山頂部、焼畑地も多くが尾根にまで達し、つまり山頂まで焼いてしまうため、山全体の土地の保水力が全く無くなってしまう。雨水だけにしか頼れず、水が必要なときに湧き水や地下水が得られない。農業用水どころか生活用水さえままならない。しかし、急傾斜の山間地であるため、山頂の方が日照がよいこともある。山頂の方が平坦地を作りやすいこともある。基本的に夏作中心の農業なので、作物は雨季の充分な水を得ることが出来る。通常の作物を作る分には日照が良く、生活地に近い、収穫物の運搬が楽な山頂の方が都合が良い。土地が疲弊しているのが分かっていても山頂中心の農業はやめられないのだ。

焼畑を計画的かつ効率良く行えば食糧を自給できるであろう。しかし、現在の貨幣経済と情報化社会の中、人々は多くの事を知っている。換金作物を作ってお金を得ることにしか関心が無くなる。そして食糧の配給が政府により保証されたとき、人々の関心はもはや食糧自給には向かわない。工業製品と同じ価値を農産物で生産しようとする。ここでは農業しか出来ないからだ。ここでも現代社会の貨幣文化の侵略を受けているのだ。そして農作物と工業製品を換える時の価値のギャップに自然が悲鳴をあげるのである。

 

竹林化と環境破壊

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熱帯では焼畑の後を放置しておくと竹林となる。竹の地下茎が非常に強く、竹だけが残るのだ。その結果、この地域は竹林ばかりである。近年、竹の価値が上がっているようだが間伐もしていない竹の価値は低い。竹は実はつけず枝もないので鳥が住めない環境にしてしまう。鳥がいないので畑は虫害が多い。この地域全体を見渡すと、竹により緑が潤っているのに極端に鳥が少ない事に驚く。すべて焼畑による環境破壊である。竹は大気中の二酸化炭素を強く吸収し酸素を放出するので、地球全体として温暖化を防ぐには良いが、ここにも人や動物が生存しているのである。竹による生態系の破壊により絶滅した動物は多いはずだ。食糧自給率が30%のこの地では、人間さえも援助が無ければ絶滅しているのだから。

ミゾラムでは州の総面積21080平方キロの内9218平方キロが竹林と化している。これは15年前のデータで現在では州内の半分以上の土地が竹林化していると思われる。近隣他州に比べ圧倒的に高い数字だ。これに現在行なわれている焼畑地が米だけで毎年4〜500平方キロ。その他の作物はデータが無いので分からないが、換金作物の生姜、唐辛子栽培は焼畑で行なわれるので毎年1500平方キロは下らないだろう。これほど大規模な竹林の中の生活は危険を伴う。竹は根が浅いので土砂崩れを起こしやすいのである。急傾斜を縫う道路は雨季になると至る所で土砂崩れを起こし、毎年多くの人の命を奪っている。そして近々この竹のほとんどが枯死すると言われている。

この地域では50年ごとに竹の枯死があり、その度にネズミが異常繁殖し、穀物を食い荒らすとされる。熱帯性の竹は開花後に実を付けるので、そのためネズミが増えるのである。この竹の枯死に対し有用な対策はほとんど立てられていない。私は竹炭を生産して畑に戻す運動をしており、州政府も多少の関心を示してくれている。

焼畑からの脱却

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焼畑でないと植物は育たないと信じきっている農家に常畑のメリットを経験させないと焼畑を止めない。等高線を引きそれに沿って夏作は米を植え、冬作に麦、アブラナ、エンドウを植えた。冬作は土壌保全が目的だ。3年間、常畑と焼畑を比較した。冬作は焼畑地では行っていないので比較できないが、夏作の米について言えばきちんと焼畑と同じ収量を毎年上げられている。単純に言ってしまえば焼畑をしなくても良いのである。しかし作業は常畑の草取りが年々多くなり、農家にはじわりじわりと作業量が重荷になってきた。焼畑は山焼きのときに雑草の種も焼いてしまうので、雑草の量が非常に少ないのである。それに引き換え常畑では雑草は年々増えて、草取りを少しでも怠るともう収拾がつかなくなり致命的になるのである。その草が爆発的に増えるのが雨季である6〜7月で、雨上がりの畑は蛭が待ち構えている。焼畑と常畑で収量が同じなら彼らにとって常畑に変えるメリットはない。実際にやってみると、焼畑は驚くほど楽だ。とにかく雑草が少ないというだけでも農家にとっては非常に大きなメリットだ。

常畑で冬作も行い、その収益を考えれば常畑にメリットがあるが、これまで冬に仕事をしてこなかった彼らには大きな負担だ。加えて100%キリスト教になってしまった現在、12月はクリスマス準備に費やす。

州政府はこれまでミカン、パイナップル、コーヒーなどを焼畑からの転換作物として推奨・補助してきたが、技術の未熟さと市場の停滞で何一つ進んでいない。その間にも農民は日々の糧を得るために焼畑を続けている。焼畑を止めるのは容易ではない。

 ミゾラムの谷間では日照時間が極端に短い。また霧に覆われやすく、これも日照を妨げる。しかしこれはコーヒー栽培に絶好の気象条件であり、焼畑からの転換作物としてコーヒー栽培プロジェクトが20年前から行なわれている。国際市場コーヒー価格の下落もあって望み薄であるものの、遮光用の木が必要なコーヒー栽培は、自動的に森林再生となるので、環境面を考えるなら薦めたいところである。

 

焼畑文化

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焼畑がこれが文化なのかと問われると、焼畑が良いか悪いかも含めて分からないところが多い。ただ、今の私に言える事は、現状の焼畑の手法は決して続けて良いものではないという事だけは言える。何故なら持続可能ではないという事。つまりは第1に食糧が自給できていない。第2に土地が痩せていく一方で適正な焼畑サイクルが守れない。第3に土地が極端に酸性に傾いている。第4に生物の多様性が失われているので鳥の数が非常に少なく、虫害に悩まされている。第5に土地が竹林化している。つまり元の自然が全く保たれておらず、自然が人の手によって完全に痛めつけられている。

今年1月、ちょうど日本に一時帰国した折に姫田忠義さんから日本の焼畑について学ぶ機会があった。実は私は日本の焼畑については全く知らなかった。そして驚いた事に日本の焼畑は1つの素晴らしい文化であった。焼畑が失せていく過程も文化であり、決して自然との対立があったわけではない。

しかし、ここミゾラムでは焼畑を文化と呼ぶには程遠いものがある。なぜなら自然を生活の共存相手と見ておらず計画性が全くない。農業と言えどもここでは狩猟と同じ考え方であり、生産ではなく搾取なのである。ここで食糧自給が出来ていないということ自体が、自然の一方的搾取はもう限界を越えていると言う事である。これでは文化とは呼べないのではないか?

 

現代社会

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さて、ここまでミゾラムにおける伝統的な、かつ基本的な生活形態を描いてきたが、実生活は近年急速に変りつつある。私が知るここ15年での変容は凄まじい限りだ。変えることの出来ない伝統的な生活習慣に入りこんだ近代文明とのミスマッチを見ると非常に滑稽でもあるがここでは伏せておこう。たぶん日本の高度成長と西洋化もアメリカ人にとっては滑稽に映っていた事だろうから。

問題はこの近代文明が援助で入ってきている事である。自ら文明を構築していくステップが飛び越されてしまっているのである。現在、単位面積あたりの農業投資はインドで一番高いが、そのほとんどは腐敗した政治家・役人と非効率な行政組織に吸収されてしまい、実際には畑に届かない。その分、金回りが非常に良くなっているが、外から入ってくる既製品を買う事しか出来ない。町は鉄筋コンクリート建ての高価なビルが立ち並び、自動車も大量に入って主要道はいつも渋滞している。20年前に人口50万人に対し、5年計画で一兆円以上がばら撒かれた。今年から5年計画で竹枯死対策の為だけに人口90万人に対し800億円がばら撒かれる。末端の農民には直接届かなくても、州全体の金の循環が良くなり、農民も貧しさで飢える事は全く無い。これが労働意識や向上心を失わせている。

宗教を否定してはお叱りを受ける事と思うが、承知の上で敢えて言わせて頂く。キリスト教がこの民族をメチャクチャにしてしまった。多くのクリスチャンの方々を敵に回してまでこんな事を書くのにはきちんと正当な理由がある。キリスト教が腐敗の温床で、ミゾラムの不正・腐敗は敬虔なキリスト教徒より発しているからだ。まさかと思う紳士が、平気で公金横領・賄賂の遣り取りでお金を州予算を奪い取り、教会で神に感謝しているのだ。政治家にしても然り。嘘だと言うのならミゾラムに来て確認して頂きたい。ミゾラムに来て良く見てもらいたい。キリスト教が何をやっているか? 若者たちは当たり前のような顔して、『ミゾラムの主要産業はキリスト教と公務員だ』と言う。宗教と公務員のどこが産業だ? また、極端に言えば農民は種も蒔かずに祈るのみ。それを教会が肯定している。毎週火・木・土の夜6時半から礼拝がある。その前に食事を済ます。焼畑地まで往復歩いて3〜4時間かかることはざらだ。当然日曜日は仕事をしない。これでは仕事時間が全く取れない。

彼らが補助金を貰えるのもキリスト教のおかげなので教会を欠かす事が出来ないのだ。彼等は神を信じている事に誇りを持っている。神を信じているものの意見は全て正しくなる。現在この州の農業を指揮しているのは牧師だ。残念ながら彼には農業知識が無い。北朝鮮の飢餓は農業に無知な指導者の誤った命令によるもので人災だと言う。ここでも同様だ。

 
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