サークル・ミゾラム
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第3回ワークショップ
(1999年1月18日〜2月1日)
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スタッフ


牧野 一穂 インド・アラハバード農科大学教授。農学博士
インド在住30年。専門は稲作と地域開発。アジア学院創設者の1人
沢登 早苗 ぶどう、キーウィフルーツの生産農家。農学博士
恵泉女学園大学講師。日本有機農業研究会基準委員。大地を守る会・生産者会員
須田 二郎 自然農法農家。炭焼き専門家
横田 仁志 コーディネーター

内容

第1回、2回は炭焼き指導、木酢液の採取が中心に行われたワークショップでしたが、今回は各専門分野に分かれ、須田氏には前回に引き続き炭焼き指導をして頂き、牧野先生には『キリスト教と農業について』の講義と稲作指導を、沢登さんには果樹栽培の指導をして頂きました。よってワークショップも須田氏による『炭焼き組』と牧野先生と沢登さんによる『畑組』に分かれた形となりました。


炭焼き実習
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炭焼き その1 白炭

1997年の第1回ワークショップで木酢液を伝えた結果、大変なブームになっていることを第2回ワークショップの報告で伝えましたが、いくぶん下火になったとは言え、今年も木酢液に対する関心は依然として高いままでした。しかし、薬用としてだけではなく、農業にも使われ出しているので、高値でいくらでも売れたときのような大ブームは去ったようです。これから炭と木酢液が本格的に農業へ利用されるのではないかと期待しています。

今年の炭焼き実習では、これまでの伏せ焼きやドラム缶を使っての黒炭に加えて、白炭の焼き方を伝えてきました。白炭は備長炭に代表されるように火持ちが良く、燃焼効率が良く、一酸化炭素も出さないので、炭としての価値が高いからです。また、ミゾラムの山は焼き畑によって森林が破壊されているものの、手入れがされていない山には竹が豊富にあるのでそれを利用して竹の白炭を焼きました。竹炭はそこから取れる木酢液(竹酢)も含め、利用価値が高く、日本でも高い値がつけられています。

白炭窯を本格的に作るには通常2週間程かかりますが、今回は須田氏が考案したドラム缶を利用した小さな簡易型白炭窯を作り、毎日出荷できるように日窯と言われる1日で炭を焼く方法を指導してきました。

白炭窯は常に炭を焼き続けなければならず、窯の内部が十分に熱せられいないと焼けないで、最初の2回は予定通りうまく焼けませんでしたが、3回目からは高品質の竹の白炭が焼けるようになりました。白炭窯作りは成功しました。各工程で技術やタイミングの習得が必要ですが、須田氏の指導のもとでは固く締まった竹の白炭が取れるようになりました。豊富にある竹から品質の高い炭を生産できるようになれば、それが収入源となるだけでなく、燃料や農業資材を確保でき、さらに荒れた山の手入れもできて、一石四鳥にも五鳥にもなる筈でした。

ドラム缶を使って窯を作る

焼いた炭を取り出す

誤算は、まさに生活習慣の違いにありました。日本では調理や暖房に炭を使用します。その点では、火力調整がしやすく、一酸化炭素を出さない白炭は大変重宝するものです。

しかし、ミゾラムでは調理の際に火加減は考えず、直火を直接受けて暖を取るのが普通です(広く作りの悪い部屋では一酸化炭素のことなど考える必要はありません)。そのような生活習慣の中では、あおがなくては火が強くならない白炭は評判が悪かったのです。人々の関心は炭自体よりも木酢液に向いているため、土壌改良や植物の生育促進に炭が効果的であることを実地で証明しない限り、炭自体の品質を評価してもらうのは難しい状況であることが分かりました。

白炭窯を使った炭焼きは、結局4回目の釜出しをもって打ち切りとしました。計画を変更した理由には白炭の評判が芳しくないということがありますが、次に報告する予定外の黒炭窯を作ることになって須田氏が両方の窯を指導することが困難であると判断したためです。
 

炭焼き その2 黒炭

白炭窯での炭焼き中に、別のグループ『Faith Home Society』が本格的な炭焼き窯を作りたいと申し出てきました。しかももう穴まで掘ってあるとのことでした。このグループは身寄りのない子の保護とアルコール中毒・薬物中毒患者の更正施設で、数件のスタッフ家族と30人位の収容者が畑をもって共同生活をしています。NGOではありますが、州政府から補助金をもらい、食料をほぼ自給しています。98年度にアジア学院に研修生を送り出したグループです。

現地へ行ってみると、昨年渡したテキストを参考にした、一般的な三浦標準窯の設計で準備がしてありました。将来的にはこの地に窯を作る予定でしたが、本格的な炭窯作りは前述のように2週間はかかるので今回の計画には入っていませんでした。しかし、始めてしまったのでやるしかありませんでした。

窯を作る

炭窯作りは施設の収容者がほぼ全員参加してのアッと言う間の作業でした。チェーンソーも無い中での炭の材料の木を切る作業、ステンレスパイプの代わりの竹の節をきれいに抜き取ったパイプ作り、重い石なども人海戦術で揃えられました。フィールドワークだけは日本人よりずっと長けています。しかし、最後の炭窯の天井の土を叩き締める作業がきちんとできませんでした。この作業は単調な時間のかかる作業ですが、飽きっぽい彼らは目を離すとすぐ手を緩めてしまうのでした。

結局失敗しました。原因は当然土を叩き締めるのが甘かったため、炭を焼いている最中に窯の天上が崩れてしまったのです。我々は日程の都合で崩れてしまったのを見届けるまででしたが、このグループのリーダーは、失敗をいい経験として何度でもやり直すと語ってくれました。
 
 
講演(牧野先生)
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牧野先生は、インド・アラハバード農科大学において、NGO活動として大学内に正規入学以外の農村指導者養成コースを数々設け、インド各地からの研修生を受け入れ、指導しています。また、アラハバード周辺の30ヶ村で農業改良普及事業・教育事業・井戸掘り・便所の設置等の活動を行い、平成9年にはこの長年の活動に対し外務大臣賞を授賞している日本のNGOの草分け的な方です。

もともと日本キリスト教団からインドに農業宣教師として派遣されている牧野先生は、農村指導者養成コースの研修にも聖書講読を利用しています。インドでの活動費用も主にキリスト教会を中心に集められています。

ミゾラム州はインドで唯一、キリスト教徒がほぼ100%を占めている州で、教会の力がとても強いために政治・行政も教会抜きには動きません。牧野先生には、教会に対し農村開発への理解を求めるため、『キリスト教と農業』について各地の教会5ヶ所で講演をして頂きました。

講演内容は、聖書からの引用・解釈を中心に、

『キリスト再誕の時に、焼き畑で荒れたミゾラムの山を見たらキリストはどう思うか』
『神は人に対し、この世のものをすべて支配せよと言ったが、荒らして良いとは言っていない。自然を守り、きちんとした農業をすることが、神の言うすべて支配せよと言う意味だ。』
『人類最初の仕事は、アダムとイブの子供のカインによる農業だった。』
等々、分かりやすいものでした。人々の反応は予想された通り、農村部では高く、都市部では低かったのですが、牧師の反応が非常に悪く、関心が持てないようでした。牧野先生には、教会の目を農業問題に向けさせるために大きな期待を寄せていたものの『ここの牧師は動かないね。』と諦め顔でした。しかし、教会が動かないと、この地域を動かすのも難しいことになります。

牧野先生からのアドバイスとして、『世界各地では教会が中心になって民衆とともに地域開発を行っているが、実はこれは教会本来の仕事ではない。牧師の仕事はキリスト教の儀礼だけを行っていればよいのである。この地域は教会が保護されているので、牧師に農業問題の関心を持たせるのは難しいであろう。しかし,教会が人々の社交の場となっているので、一般民であるチャーチエルダーに対しアプローチをかけてみれば良い。』とのことでした。宗教的に中立の立場での活動の中では難しい課題です。
 
 
農業実習(沢登さん/牧野先生)
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ミゾラム州政府は、山を荒らす焼き畑から果樹栽培への転作を奨励しています。ミゾラムは米の自給率が30%と低い地域ですので、サークル・ミゾラムとしては売り先のない果樹より米の増産を目指していますが、州政府の指示に従って果樹栽培に転換した農家を支援するために、今回、国際経験豊かな果樹栽培・流通の専門家である沢登さんに同行をお願いしました。しかし現地を視察した沢登さんと牧野先生の意見を合わせると、これまでの方針を大きく転換することを考えさせられることになりました。これについては最後に述べます。

沢登さんと牧野先生には毎日数多くの畑を見て回って指導して頂きました。ここの果樹栽培は、単に苗を植えて育つのを見ているだけの手入れをしない農業です。これを日本では『盗人穫り』と呼ぶそうです。沢登さんにはすべての畑で枝の剪定や草マルチについて指導して頂きました。草マルチについては落葉の下が湿っていることを説明し、現地の農民のある程度の理解を得ましたが、彼らは初めて知る剪定で枝を惜気もなく落としていくことには驚いていました。剪定の必要性は通訳を介して十分に説明しているものの、かなりの抵抗感があるようでした。今回の実習で剪定した木の収穫が上がればこれも普及していくと思われます。

牧野先生には,焼き畑の稲作現場で収穫後の状態を見て頂き、助言を頂きました。まず、現地の人に撒種のやり方を実演してもらい、次に牧野先生が実演し、撒種方法の違いについて解説をしました。現地の農民が適当な間隔でいい加減に撒くのに対し、牧野先生は等高線に沿って密植するように勧めました。彼らによれば、この方法では経験的に収穫量が落ちるということです。これも現地で実験して、結果を出さなくては理解してもらえないものです。

農業実習1

牧野先生はよい品種のみかんを作るための接木について説明し、接木した苗作りを商売にすれば現金収入を得られのではないかと提案されました。牧野先生のNGO活動の中には接木を教えるコースがあるので、その講習を受けさせてもらえることになりました。しかし品種改良について農民がまだ理解できていないため、具体的な予定を立てることはできませんでした。

今回の通訳は農業省の役人でした。彼は剪定について学生時代に勉強しており、農業省でも剪定鋏を販売しているとのことでした。しかしこれが農民にはまったく知らされていない現実があります。また農業省の中には接木に関する論文で博士号を取った人もいるのに部署が違うためにその普及活動に関われないといった、せっかくの専門知識が活用されていない歯がゆい状況がありました。教育を受けた者が役人になって何もしない現状は、こと開発途上国においては特に悔やまれます。
 
 
モデル農場計画
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前述の『Faith Home Society』には、州政府から借りた10haの山にモデル農場を作る計画があります。この山を視察して、従来の農業の繰り返しにならないように設計図を作ってきました。伝統的な形を崩すことに抵抗はあったようですが、彼らがこれまでの伝統を打ち破って、新しいことを始めてくれるのを期待するのみです。

モデル農場予定地を下見する


 
養鶏場での炭の利用
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昨年のワークショップで提案した、養鶏への炭と木酢液の利用を実践していた農家は残念ながら1軒だけでした。その人は教員からの転職でまだ始めて1年ですが、昨年教えた炭を敷き詰めた鶏舎も作っていました。当初3つの鶏舎全部に炭を敷き詰めていたものの、鶏が真っ黒になってしまうので今は1つの鶏舎だけに使用しているということでした。産卵率、病気の羅患については他の2つの鶏舎と顕著な違いはまだ見られないというものの、炭を敷き詰めた鶏舎には臭いがありませんでした。この炭を畑に混ぜた場合の作物の生育に効果が現れれば、炭と木酢液を利用した養鶏にが普及すると期待しています。

鶏舎を訪ねて


農業省での講演
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今回のフィールドワークは主にチンチップ村、およびその周辺の村で行い、ミゾラム州の州都アイゾールでは情報収集と講演を行いました。

講演風景

講演は州の農業省に招かれて州首相を交え、我々4人が各専門分野を話しました。州首相は昨年11月の地方選挙において新しく選ばれた首相で、農業開発に対し強い意欲を持っています。また、キーウィフルーツにも関心を持っており、今回の沢登さんの話を心待ちにしていました。この講演にあたって、わざわざ輸入したキーウィフルーツを首都のデリーから取り寄せ紹介するといった熱の入れようでした。まず、牧野先生がこれまでの教会での話と同様に『キリスト教と農業』の話をし、キリスト教徒にとっていかに農業と取り組んでいくべきかを訴え、続いて沢登さんがミゾラムの農業の可能性を次のように話しました。

『ミゾラムの農民は、山を焼いて種を植え、収穫するだけでほとんど手入れをしていない。収穫した物を取るだけでは土はおなかを空かしてしまう。たい肥やボカシを作って入れたり、草マルチをして土を表面に出さないようにして水分を保つなど、きちんと手入れすれば収穫が上がる。

広葉落葉果樹である柿や枇杷等を育て、土に帰る枯れ葉を毎年出すようにするだけでも簡単に土を肥やせる。また、この地域で食べられているゾンタという豆は窒素固定するので、この木の回りの作物の生育は良い。この木を畑に植えれば収穫は上がるだろう。自分の家ではキーウィフルーツを栽培しているが、ミゾラムでもできるだろう。

みかんの苗を接木して枝を剪定してきちんと育てれば品質の良い物を沢山収穫でき、よい値段で輸出できるだろう。その他ここではパッションフルーツ、グアバ、パイナップルなど、いろいろな種類の果物ができるので、長距離の輸送に耐えられる貯蔵できる果樹で、高地の気温差を利用し、他の地域と出荷時期が競合しない果樹を栽培すればいい収入になる。』

沢登さんの話には具体性があるだけでなく、ミゾラム州政府の意向とも重なるため、大きな評判を得ました。
次に須田氏が炭と木酢液について話をしました。沢登さんは英語を使い慣れていない須田氏を補う形で、炭と木酢液の農業への利用を強く訴えました。横田はミゾラムの農業開発についての講演を求められ、『自分の家族(妻がミゾラム人)が、結局は中央政府からの補助金で暮らしているのが見るに耐えない。経済的に独立してほしい。ミゾラムで工業を興すことは地理的にも地形的にも難しいので、まず農業をきちんとやって、食糧自給をして欲しい。農業がきちんとできれば、焼き畑で森林を失うこともなくなる。』と訴えました。
 
 
ミゾラムでの農業開発の方向性
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今回の活動では、これまでの方針の転換を迫られる結果になりました。ミゾラムの現状を見た牧野先生からは、次のような意見を頂きました。

『米の自給は諦めなさい。この地域は貧しいが、補助金で何とか食べていけてしまっている。米の自給を行うには棚田を切り開くなどの重労働が必要だが、米が自給できても農民が豊かになるわけではなく、そんな割に合わないことで農民は動かないだろう。それよりも競争力のある作物を作って売って、農民に現金を見せることだ。果樹の苗作りもいい収入になる。』
沢登さんも同じ意見でした。
『果樹栽培は気候が違うと収穫時期も違ってくるので、出荷時期をずらした物を作ればよい。キーウィフルーツはミゾラムの気候に合うはずだし、みかんの接木の技術を教えて品質の良い果樹を作れば競争力も出てくる。インドの外れという地理的悪条件も、高地の気温差を利用し出荷時期の違いと品質でカバーできる。そのような品種を選んでいくことも大切だ。米の自給にこだわる必要はない。』
結局、これまで目指してきた米の自給は『可能性はあるが現実的ではない』と否定されてしまったのですが、牧野先生と沢登さんのアドバイスは豊かな経験と実践に基づいたものであり、今後も協力を惜しまないと暖かい言葉を頂きましたので、今後も各専門の方々の指示を受けて、ミゾラムの地域開発を押し進めたいと思います。