ミゾラムからの手紙
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2001 年 4 月 3 日  

横田から近況が届きました(内容を再構成しています)。


皆様からは励ましのお便りとともに桜の開花の便りも頂きまして有難うございます。

インドにいてもインターネットで桜の様子が見られる便利な世の中ですが、ここミゾラムにいて桜の木の様子が見られないなか、お知らせだけが届くと、『今年は例年より早いのかな?』と感じてしまいます。季節季節の様子を頂くたびについつい郷愁に焦がれてしまうのはまだまだインドに染まっていないのかな?と思うこの頃です。

お忙しい年度末も終り、仕事も一段落された皆様も多いことと思います。また、新年度に向けての準備にお忙しい方もいらっしゃることでしょうが、この3ヶ月間のこちらでの様子をお伝えします。お花見気分でご高覧下さい。また、花見の肴にして頂ければ幸いです。


昨年は引越の遅れもあって、荷物待ちのために家で過ごす事も少なくなかったのですが、今年に入り、ずっと外に出っぱなしの忙しい日が続きました。

村回り

1月はミカンの剪定と、一昨年より進めているキーウィフルーツの剪定に5つの村を回りました。

キーウィフルーツは一昨年に行なったワークショップで栽培を勧め、州首相も乗り気だったのですが、行政側が乗り気でなく、栽培を始めたのは州首相の親類の他10件くらいと園芸省の試験農場のみです。行政側が補助金を出さなかったので一攫千金を狙う小金持ち(生活に余裕があるが大金持ちではない)が殆どです。

彼らは皆、英語のテキストのコピーを持っているものの殆ど読んでなく、作業は小作農民に押し付け、結局農民は手入れの仕方がわからず、グチャグチャの状態。とりあえずサッパリと刈り上げてきました。また、園芸省の試験農場はきちんと棚は作ったもののやはり全く剪定していなかったのでこれもグチャグチャ。剪定の概念が全くないこの地では木を切ることを理解させるのが大変です。写真を添えます。

剪定

剪定作業

園芸省の試験農場はミャンマー国境まで2時間のところ。ついでにミャンマーに行ってきました。ビールの買い出しのためです。ここ、ミゾラムは禁酒の州なので基本的にお酒が買えません。私は特別許可を持っているので州政府から買う事が出来ますが、ウィスキーのみです。闇でも出回っていますが、特にビールはかさばる事からなかなか手に入りません。ミャンマー国境のミャンマー側には闇酒を手に入れるミゾラム人相手の酒屋が並んでいます。対するミゾラム側は酒に対しては防戦体制です。賄賂も飛び交いながら闇商人と政府の駆け引き、騙しあいが繰り広げられています。特別許可を頂いている私はなんと幸せな事か。ビールを買えただけで幸せを感じることが出来る、小さな喜びを大きく味わうって素晴らしい事じゃないですか?

3月はバクトン村で一週間の炭焼ワークショップ。このバクトン村の住民は良く働き、仕事に対して非常に真面目です。ワークショップの参加者は30人と、他の地域でのそれと比べて少なかったのですが、炭焼をした日は朝6時から夜11時までの長時間にもかかわらず、20人は最後までやり遂げました。ちなみに12月にコロシップ町で行なったときは、70人の参加者中、夜9時半の終了まで残ったのはわずかに4人でした。

バクトン村

この村はちょっと変わっていて、1943年にザイオンと言う人が興した新興宗教の村で、今のザイオンは3代目教祖(住民は指導者と呼んでいる)、真のキリスト教徒の村(住民談)です。人口は1700人、外部のものは許可なく立ち入り禁止で、州政府も必要以外入れさせません。

1997年までは学校さえなかったのですが、州政府の要請を受けて1997年から学校を始めました。その学校もこの村民による私立です。上九一色村かヤマギシズムの村みたいなところですが、内部の者は出入り自由で、脱退も自由。収入の10%を教祖に納めることになっているが、それも自由。そして良く働く。97年に出来た学 校の先生は皆ボランティアで、朝と夜に家で仕事をして、9時から3時まで子供達に授業を施しています。

この村は中央政府からの援助に頼るミゾラム州の中で経済的に独立しているのです。州政府に頼っているのは電気だけ(電気料金はもちろん払っている)。主要産業はアルミニウムの鍋作りと、家具製作。殆どの村民がこの仕事に携わり、これをミゾラム州内の他、他の州やミャンマー、バングラデシュなどに売り歩いています。アルミニウムの鍋の作り方は、インパール作戦時の日本軍に教わったと言う事です。

そして驚くことに教祖は40人の妻と90人の子供がいるのです。教祖の家はまるで幼稚園のようです。しかし生活は質素で、家は広いものの、130人の大家族とすればむしろ小さく、作りも他の家と変わらず粗末です。家族が着ている物、食べているものも質素です。また、教祖はその立場に奢れることなくよく働きます。継ぎ接ぎの服を着て農作業から土木作業まで、村民の先頭を切って指導しつつも自ら荷物を持ち、鍬を振るい、石を運び、労働者と何ら変わりません。教祖の妻達も同様です。そして、教祖は夜には村民に礼拝を行うのです。

村民は皆この教祖を尊敬しています。私も尊敬してしまいました。私が泊まった家の奥さんの妹が教祖の妻だと言う事で、一体どうやって教祖は嫁選びをするのか聞いてみたところ、女性から教祖に直接プロポーズするのだそうです。

自動車購入

1月に車を買いました。スズキのジムニー1000ccです。

インドでの車名はジプシー。97年産で5万Kmのものですが、がたがたの山道ばかり走っているので足回りが悪いところだらけ。これまで私の20年以上の運転歴で聞いた事もないような修理のオンパレード。

それは仕方がないのですが、修理の面倒臭さには辟易しました。こちらの修理屋は修理をするだけで部品を取り寄せてくれないのです。車を修理屋に持ち込んで悪いところを見つけてもらったら指示された部品を部品屋に買いに行き、またそれを持ち込んで取り替えてもらうのです。大体すぐ近くに店はあるのですが、その店に目的の部品が置いていないとあちこち走り回って探すのです。また、車を預かってくれないので、車が動く分には毎回家に持ち帰りです。(ちなみに病院も同じで医者は診察するだけで注射をするのにも注射器と薬を薬局まで買いに行き、その度に病気が更に悪くなる)

修理費はとても安いです。(パソコンの修理は1時間300ルピーで、車の修理は40ルピー)それは、修理屋は資本がいらないし、労働者は皆見様見真似で覚えていく教育を受けていない人たちだからです。対象的に部品屋は金持ちです。開店の資本がある人と言う事です。

と言う事で、車を運転する事が非常に多くなったのですが、交通ルールを覚えるのが大変です。有って無いようなルールで すが、山岳地帯のミゾラム独特のルールを体得するのが難しいのです。

ここには十字路やT字路が存在しません。どういう事かと言うと、急斜面しかないこの地では、交差点は全て数学で使うX字かλ(ラムダ)字型、つまり全て斜めに交差するのです。そして、道幅の大きさに関らず登ってくる車が優先します。広い道を走っていても狭い路地から飛び出してくる車が優先になる事も多いのです。また、路上駐車していた車が道の真中に飛び出す発進車優先と言うのがあります。

こちらの車はバックミラーを使いません。(狭い道をギリギリですれ違う事が多いので右ミラーは皆閉じており、左ミラーは付いていません。)後ろも確かめずに飛び出してくるのです。後ろから走って来る車は譲らない時のみクラクションで合図します。その他、狭い道でのすれ違いは一時的に右側通行(片側は必ず崖なので、運転手が窓から顔を出して崖ッ淵を確かめられるように)、夜間のすれ違いはお互い右ウィンカーをつけて車幅の確認(私は対向車が右折するものと勘違いしてしまう)等など、この感覚を体得するのに苦労しています。

しかし、インド本土では夜間のすれ違いはお互いヘッドライトを消しあって対向車の大きさを確認しますが(日本も真似したほうがいい習慣)、ミゾラムではやりません。それどころか皆ハイビーム(上向き)にしたままなので、一瞬前が見えなくなります。ミゾラム人の目はどうかしてると疑いたくなります。

ネパール旅行(2/17付けのレポートの補足

2月に16日間ほどネパールに行ってきました。
当初昨年11月後半から12月前半を予定していたのですが、引越の遅れで延び延びになっておりました。ネパールのNGOからは催促が来るし、私も資料を集めたいし、これ以上ズルズル延ばしては機会を失うと思い、片道3泊4日の陸路の長旅を行ってきました。10年ぶりのインドの長距離バスで、すっかり忘れてしまっていた事は、シートの間隔が狭く、しかも前のシートの背もたれは鉄製であると言うこと。足の長い(背の高い)私は座ると前のシートにひざが当たるのです。

ここミゾラム州アイゾールからアッサム州のグウァハティまでの20時間の夜行バスで 両膝は真っ青ならぬ真っ紫になって、しかも血まで染み出る始末でした。10年ぶりのインドの長距離バスでもしっかり覚えていた事は、車酔いのゲロ吐きが多いと言うこと。車酔いの人に注意し、いつでもすぐに避けられる準備をしていました。特にこの山岳地帯、予想通り6人が吐きました。内一人は車内で吐いたので甘酸っぱさが蔓延。大人のゲロって臭いんですよね。

ネパールでは8年来ミゾラムの開発に付き合ってもらっているNGOのINSANと、6年前に私が研修させてもらったNGOのAAAの元講師を訪ね、彼らの活動の見学と相談に乗ってもらい、山岳地帯の農業の本を大量に買い込みました。カトマンドゥではネパール人の夕食の招待を何度か断って日本食レストランに行き日本食をたらふく食べ、半年振りに温泉に浸 かり、つかの間の安らぎを楽しんできました。

我がモデル農場

荒れ放題にされたままだった我が家の農園を整備しています。元々段々畑は切り開いていたものの、10年近くほったらかしにして置いたので荒れ放題。笹に覆われていた状態で、まずこの笹を刈り取り、地面の位置を確認する作業から入りました。植物が沢山生えているから土は悪くないと思っていたものの、笹ばかりで意外に雑草が少なく、有機物の確保もあまり出来ず、土も石のように硬い状態。

昨年12月から堆肥を作り始めたものの、乾季の水不足に加え、乾いた未熟有機物にシロアリが大発生。古い貯水タンクを修理し、水を買い、やり直しています。堆肥場は下をコンクリートで固めないと難しそうです。

2月に16日間ネパールに行っていたら、その間に気候がガラッと変わってしまいました。日本の気候で言えば12月上旬から一気に3月下旬に変わってしまったのです。慌てて苗作りをしたものの気温がぐんぐん上がって皆徒長してしまいました。また、日本の感覚で、所謂夏野菜を始めたところ、こちらではトマトは冬野菜、ナスは多年生作物、それに加え、この時期は乾季で水がないのでキュウリもとうもろこしも出来ないと言われ、少々バカモノ扱いされ気味。ドンキホーテでも構わない!この暑い夏に禿山を太陽に晒しておくのとどっちが良いかを見せてやると意気込んでおります。

10月から3月までは全くと言っていいほど雨が降りません。ずっと快晴です。1月に1回、3月後半になり2回ほど夕立程度に雨が降りましたがお湿り程度。ミゾラムではこの時期水が無いと言って農地には何もありません。農民は焼畑の準備で、3月は特に山焼きのシーズン。農民の夏の仕事は、山を焼く事なのです。気温は作物作りには申し分ないはずなのにもったいない。問題は水の確保ですが、水の値段はトラック1台4トンで1000ルピー以上と、農民の1ヶ月の収入に近い額です。

水分の蒸散を防ぐために考えてみたのがバンブーマルチで、ただいま試験中です。豊富にある竹を開いて編んで、地面の4分の3を覆っています。水分蒸散防止にはかなりの効果が出ています。問題は追肥が出来ない事と、雨季には水分を溜め込んで根腐れを起こしそうなことです。写真を添えました(バンブーマルチ)ので、誰かアドバイスを下さい。

バンブーマルチ

バンブーマルチ

愛しのブーちゃん

1月末から豚を買い始めました。雄雌の2頭です。雄がランドレースで名前がドゥクドゥカ、雌が大ヨークシャーで名前はクルクリ。農場の使用人が飼いたいと言ったので、私自身の経験の意味で始めました。この豚を種に子供を肥育する予定です。

豚という動物はバカだと思っていたら、飼って見ると猫ぐらいの賢さはあります。小さな小屋の中で糞をする場所は100%決 まっていますし、運動と泥遊びの為に庭に放しても、呼べば必ず小屋に帰っていきますし、従順で狡賢さがない分は猫以上かもしれません。けっこう甘ったれで、撫でてもらいたくて擦り寄ってくるのですが、撫でてやるとコロンと横になって気持ちよさそうブヒブヒ言いながら寝入るのでとても可愛いです。嬉しい時には犬と同じで尻尾を振るのですが、特にドゥクドゥカの食事中はヘリコプターのプロペラのようにしかも歌うようにグルグル回すのでとても可愛いです。あまり可愛がっていると後で豚肉が食べられなくなりそうで心配しています。入浴中の写真を添付します(ドゥクドゥカとクルクリ)。いつもは泥水で遊ばせるのですが、この日は写真写りが良いようにビニールシートに真水を張ったら不満たらたらですぐに出てしまいました。

ドゥクドゥカとクルクリ

ドゥクドゥカとクルクリ

現在、韓国自然農業養豚(ヤマギシズム養豚改良型)をミゾラム適合型に設計し直した豚舎を建設予定ですが、3月に入り、ミゾラムの銀行が外貨両替出来なくなり、資金難で中断しています。 銀行での外貨両替が不能に3月に入り、ここミゾラム州で唯一外貨両替が出来たState Bank of Indiaのアイゾール支店の外貨両替が出来なくなってしまいました。基本的に外国人入域制限地域で入域許可も通常10日間、宣教師以外の外国人は殆どいないので、外貨両替はこの支店で月に1回有るか無いか。『実際、君以外は両替の必要が無いんだよ』と言われてしまい、支店長に抗議に行ったところ、この支店の格付けが下がったので出来なくなったとの事。私のとっては大問題。今後どうしよう?

その他

農業省に対し、試験農場で土壌改良に炭の効果を確認するよう交渉中。(昨年は木酢液の効果を確認してもらいました。)

土壌保全省のコーヒー加工に助言中。(コーヒー栽培をしているものの、ミゾラム人はコーヒーを飲まないので味がわからない、焙煎がわからない、挽き方もわからない、結局全く売れていないのです。私も焙煎については良く分からない!)

レストランへ料理のアドバイス。(挽肉を焼いただけのハンバーグや内臓を抜かないで焼いただけの臭いローストチキンがまかり通っている!) 農民からの相談(技術的なことより、政治・行政的なことが殆どで私には手におえない)、雑誌への寄稿とテレビの取材ロケ(依頼があるものの最近は忙しくて出来ていない。)等等をやっています。


長いレポートを最後までお読み頂きまして有難うございました。

皆様からのご意見やご感想、ご質問をお待ちしています。

ミゾラムの地域開発へのご協力、今後ともよろしくお願いいたします。

支援物資のあて先、寄付金の納付先は以下のとおりです。
日本酒、野菜の種はいつでも大歓迎です!

横田仁志

住所

C/O L.T.C. Ralte B-24 Church Street, Electric Veng,
Aizawl, Mizoram, 796001 INDIA

E-mail

yokota@dte.vsnl.net.in
hts_ykt@hotmail.com
(急ぎの場合は必ず両方に)

郵便振替

00200-5-49197 『ミゾラム農業開発基金』