活動報告
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ナガランド・セミナー報告
(2005年4月21日〜4月29日)
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今年は、ナガランド州首相から招待を頂き、ナガランドでもセミナーを行ってきました。昨年12月にアラハバード農科大学の牧野先生らとナガランドに視察に行った際、たまたま空港にいたナガランド州首相を紹介されたのがきっかけでした。彼は噂で『ミゾラムで日本人が木酢液を教えている』事、つまり私の活動を知っており、ナガランドでの紹介・普及を要請されたものです。ミゾラムで広まった炭焼きや木酢液は、北隣のマニプール州にも広まっています。どこも品質は最悪ですが、炭窯で炭を焼く事や木酢液を採取する習慣が出来ただけでも大きな前進と考えています。


セミナーは自然農法や有機農法に対する取り組み方の講義と、炭焼きとボカシ作りの実習が中心でした。州首相の指示で州政府がスポンサーになった都合上、参加者は農民ではなく政府高官やその家族がほとんどでした。農民に対して行いたいのはやまやまですが、力のある上から(政府から)変えていく方針で臨みました。

写真:07セミナー(写真をクリックすると拡大します)

前述のように北東インド全体に炭と木酢液が広まっていきましたが、又聞きの又聞き、伝言ゲームではきちんと伝わっていきません。特に木酢液採取は適切な採取時間や静置時間、希釈倍率を守れません。そもそも木酢液が広がっている理由は人間用の胃薬、皮膚病薬、また家畜の飲み水用であって、農業利用までには至っていないのが現実です。

人間や動物の薬としての利用は1日2日で効能が容易に確認出来るのに対して、農業利用は効果を見るのに時間がかかり、対称物がないと比較し難いものがあるからです。人間に薬として使う際は、いい加減に採取してもかなり効く様です。ただし、タールやベンツピレンなどの有害成分は後になってガンを発症させたりします。この事をきちんと警告しておかないと後になって問題が起こってきます。本来の農業利用の様々な効用を説いて辛抱強く使って結果を見てもらうよう指示してきました。また、木酢液だけではなく、炭の農業利用についても説明してきました。

写真:08炭焼き(写真をクリックすると拡大します)

写真:09木酢液の採取(写真をクリックすると拡大します)

ボカシ作りは、ナガランドはミゾラムと違って原料が集めやすいのが利点です。これは穀倉地帯のアッサムに大規模な精米所、搾油所、企業養鶏があり、糠と鶏糞は輸送料のみのタダで手に入り、油カスも安価だからです。ただ同然の材料で作って見せました。ただし、ボカシだけに頼る栽培も進められません。堆肥との相乗効果で生きてくるものです。

写真:10ボカシ作り(写真をクリックすると拡大します)

写真:11ボカシ収穫(写真をクリックすると拡大します)

チャケサン族の村

セミナーの合間の時間を利用してチャケサン族の村に行って来ました。

写真:12チャケサン族の集落(写真をクリックすると拡大します)

前述のように家の作りは昔と変らず、屋根だけがトタンになっています。中に入るとどの家も造りはほとんど同じで(ミゾラムもですが)、ここは各家が大きな竹を編んだ籠に1年分の米を保管しています。

写真:13チャケサン族の穀物籠(写真をクリックすると拡大します)

ナガ人の性格

長く独立闘争が続いているためか、人々の顔に締りがあります。民族としてのアイデンティティーを失っていない伝統の闘争心、萎えていない心、目的意識がしっかりしているのが誰と話していても良く伝わります。あまり撒き込まれると良くないのですが、どこにでもいる独立運動家の話には興味があります。もともとミゾラムも含めてこの地域はインドではなかったのですから、民族としての誇りを持ちつづけている事は賞賛したいものです。

ただ、果たしてインドとミャンマーに挟まれた山国で、近代化の波に洗われずに独立を保てるのか? 隣国ブータンでは国王が率先して近代化の波を押さえて今のところ成功しているようですが、インド中央からの保護が長らく続いた彼らに果たしてそれが出来るのか? 疑問が残ります。

しかし、ナガ族は徹底すべき事は徹底するようで、この10年で大きく変わった事が2つあります。1つは性道徳が徹底されたこと。以前は全くなかった様です。これはミゾラムも同じで、売春がないのは売り買いが無いと言うだけのこと。2つ目は禁煙。以前はほとんどの大人が吸っていた煙草ですが、今はほとんどの人がやめています。タバコを置いていない店が多くなっています。私は喫煙者ですので煙草を吸うのに苦労しました!

やめられないのがお酒で、伝統のライスビールで乾杯です!

写真:14ライスビールで乾杯(写真をクリックすると拡大します)