活動報告
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神奈川県海外技術研修事業(2002年5月〜2003年3月)
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2002年度神奈川県海外技術研修事業にて、ミゾラム州園芸省所属のラルムゥアンプイア・チャウハンさんを受け入れて頂きました。2002年9月〜2003年3月まで、神奈川県農業総合研究所で研修させて頂きました。

これは、『神奈川県招聘 海外技術研修員報告書2002』((財)神奈川県国際交流協会制作)に掲載されたラルムゥアンプイアさんの報告です。

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来日前について

私は、山の民が住む土地、ミゾラムから来ました。ミゾラム州は、ミャンマーとバングラデシュに接するインド北東部の州です。経済の70%は農業によるもので、農業はミゾラムの人々の生活と経済に大変重要な役割を果たしています。

農学で修士号を取得してから、私はミゾラム州政府の園芸省で16年間働いてきました。時間外にはサークル・ミゾラム(現地での名称はHIFADE=山岳農業開発研究所)のスタッフとして活動しています。サークル・ミゾラムは、ミゾラム初の、そして唯一の日本のNGOで、日本の有機農業技術を通じてミゾラム農業の振興と開発を行っています。代表は、日本のボランティア、横田仁志氏です。来日前、私は、園芸省およびサークル・ミゾラムの様々な計画を実行し、農家の訪問、研修の運営、セミナーの開催、野外デモンストレーションや、将来計画を立てるための調査などを行っていました。必要に応じ、様々な書物のミゾ語への翻訳も行いました。

合成化学肥料、農業、丈夫なF1種は、緑の革命とともにインドに導入され、実際に人口の増加による需要を満たしてきました。ミゾラムの農民たちは、この新しいシナリオを、徐々に、しかし急速に取り入れて行ったのです。

しかし、化学肥料や農業を制限なく使用したことで、環境や人々の健康に悪影響が出てきました。気管支障害など、農薬により人体への影響は、ミゾラムでもいくつか見られるようになっています。そのため、私はこれらの問題に挑戦しようと考えました。サークル・ミゾラムの活動をするうち、有機農業への関心が深まっていきました。有機農業は、かなりの重労働を必要としますが、ミゾラム州は平均標高約900mの高く険しい山に囲まれ、インド中央部の平原とは異なり、野菜・果物の栽培が大変難しい場所です。しかし、ミゾラムの農民たちは、多くの問題を抱えながらも、大変良く働きます。転換期にあるミゾラムの農業は、日本の有機農業技術により改良されて行くでしょう。

私は以前から、現在の日本について聞いていました。港町横浜のことや、日本一の富士山についても学校で習いました。過剰な労働、厳しい礼儀作法、時間に正確で、仕事に忠実なこと、世界でも有数の経済大国であることも知っていました。ミゾラムとは人々の肉体的特徴や、気候、作物、小規模な土地所有など、様々な類似点があり、私は、日本が成功した秘訣を知りたいという誘惑に駆られ、日本にやってきました。

専門研修について

3カ月間の日本語研修を終え、ほんのわずかな日本語力を頼りに私の専門研修は始まりました。2002年の9月2日から、研修機関は、平塚市にある神奈川県農業総合研究所(農総研)です。農総研は、あらゆる最新の機器を備え、よく計画された試験研究機関です。私の日本語力は、最大限の知識を得るには不十分でした。そこで、私は通常圃場での作業に出るようにしました。研修はすべて日本語で行われました。作業をとおして学ぶ実地訓練です。通常、私は日本語のみで生活していました。

7カ月間の専門研修で、私は以下のことを学びました。

1)      発生予集灯を使って、稲や野菜・果物の害虫の発生消長調査を行う
2)      ガスクロマトグラフィーを使って、殺虫剤(酸化フェンブタスズ)の残留分析を行う(酸化フェンブタリン基準法)
3)      エリサン卵トラップの利用により、キャベツにつく害虫の天敵寄生蜂をモニタリングする方法を習得する
4)      みかんにつく病害虫を観察し、病害虫名を明らかにする
5)      みかんおよびキウイフルーツの収穫技術、選果、貯蔵、糖度分析を習得する

これらの項目以外に、日本の有機農法および自然農法を実践する所へ見学・研修に行く機会がありました。

a)      埼玉県小川町、田下隆一氏の農場
b)      神奈川県藤沢市、山沢氏および相原氏の農場
c)      栃木県益子町、高橋丈夫氏の農場
d)      静岡県熱海市、MOA大仁農場(岡田茂吉市開設)
e)      栃木県西那須野町、アジア学院
f)      山形県藤島町、加藤農場・志藤有機農場(アジア学院視察研修の一環)

農総研の職員の方々は、皆規則正しく時間を守り、仕事に忠実に取り組んでいました。特に最初は意思疎通が大変でしたが、皆私の質問を辛抱強く聞いてくださいました。後になって日本語の聞き取りの力がつきましたが、外国語で何かを学ぶというのはとても奇妙な経験でした。知識を得るために自分の日本語が少しでも使えたことは、喜ばしいことでした。

小型の機械を実際に使ったのも良い経験になったと思います。根府川試験場にあった運搬用のモノレールには、最も関心を持ちました。ミゾラムの農民は生産物の運搬が悩みの種で、もしモノレールがミゾラムの農場に導入されれば、将来どのように農民に利点があるか、具体的に思い描くことができたからです。

複数の部署が相互に協力し合うのは。とても良いと思いました。上司に対しても自由に意見を述べています。私は、ここに日本の成功の秘密があると思いました。私は日本人と文化的に似ているところガあり、生活には無理なく馴染むことができました。日本人にも、ミゾラムの人々と同じようにユーモアがあり、皆冗談が好きです。ただ、勤務中は言いません。『休み時間だけ』。すばらしいと思います。皆私と兄弟のように接してくれました。農総研にあるような技術や設備は今はまだミゾラムにはありません。あらゆるものが私にとっては初めてでした。しかし、有機農業に関しては、大きな混乱なく技術を普及させる自信ができました。

農総研からは、私の帰国後、将来ミゾラムで行われるであろう事業のために、様々な参考資料や、専門紙、機材、視聴覚資料などが提示されました。

真摯に対応してくださった指導担当者の皆さん、それを支えてくださったその他の職員の皆さん、私の訪問を暖かく受け入れ、押せてくださった農業者の方々のおかげで、私の研修には大きな困難はありませんでした。

(後略)

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