ミゾラムからの手紙
[ HOME ]
2001 年 1 月  

横田から近況が届きました(内容を再構成しています)。


新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年はインドに移住して、私にとって人生の一大転機となりました。やっと生活も落ち着き、今年から本格的に始動します。今後とも末永きご支援・ご指導をよろしくお願いします。

お正月早々ですが、近況をお知らせいたします。

引っ越し荷物が我が家に到着したのは、予定より2ヶ月も遅れた11月8日でした。幸いにして全ての荷物が届きましたが、税関での検査でずいぶん乱暴に扱われたらしく、パソコンのCD−ROMドライブが故障していた他、いくつかの家具に傷がついていました。カルカッタでの通関手続き・関税の交渉から始まり、連絡無く到着の遅れ、運送会社も荷物の所在が把握できず一時は行方不明にもなり、最後は料金全額前払いにもかかわらずインドの運送会社から追加料金を請求されるというトラブル続きでした。

荷物の到着が遅れたために、予定していた陸稲の常畑への転換、農場の整備、堆肥作り(有機物の確保)、炭焼指導、キーウィフルーツの苗の定植、インド・ネパールの関係各団体への挨拶回りなど、出来なかったことが沢山あります。それでも、こちらの園芸省とともに3箇所の村で堆肥の作り方の実演指導をし、農民連合では炭焼と木酢液の採取の指導、開発モデル地域のチンチップ村では常畑作りに取り組み、その他雑誌への寄稿、ローカルテレビのインタビュー、州政府への提案など、クリスマス休暇直前までは忙しくしておりました。

12月21日から新年1月2日までがこちらではクリスマス休暇です。
これだけ仕事をしなければ貧しくて当然だと思うのは私だけではないでしょう。私にとって初めての海外でのクリスマスと正月、今まで何度もクリスマスはミゾラムで過ごすようにと言われてきましたし、12月に入ると皆クリスマス気分になってきて、どんなに素晴らしいクリスマスになるのかと思いきや・・・・・?

12月21日から23日までは日本の都市部の年末の様でした。
仕事が休みになり、地方出身者が帰省して町は静かで閑散とし、市場だけが大売出しで威勢がよく、人々は休み中の食糧を買いだめしていました。

23日は我が家はピクニックでした。
なぜこの時期にピクニックか?この時期のミゾラムは乾季のために水が少なく、洗濯できずに困っているのです。車を持っている家は、標高1000mの家から60mの川まで、1時間もかけて20km以上の山道を走って洗濯に行くのです。『金はあっても水が無い』のです。日本の『湯水のように使う』と言う言葉は、こちらでは『大切に使う』と言う意味になってしまいます。川では、子供は水遊び、男は酒を飲み、女性はジャブジャブと洗濯をしました。

洗濯風景

洗濯風景

24日はクリスマスイブ、日曜日だからでしょうが日中人々は教会へ、夜になって騒ぎ出し、明け方近くまでいたるところでパーティーを行っていました。ここは禁酒法があるので本来酒は飲めないのですが、何故か人々は酒を持ち寄っていました。この日ばかりは寛容になるようです。パーティーはどこも欧米のロックミュージックを流していましたので、曲に合わせて踊っていたものと思います(私が参加したパーティーがそうでした)。

25日はクリスマス。やはり人々は教会です。
この日は午前中のサービスの後でティーパーティーが行われると言うことで、私は朝早くから準備に参加しました。でかい鍋でミルクティーとゆで卵を作り、出来合いのエクレア(ひどく不味い)とクッキーを添えて振舞うのです。そう、ミルクティーにゆで卵とエクレアとクッキーの組み合わせなのです。ゆで卵が何とも不釣合いなのですが、こちらでは卵を振舞うのがおもてなしなのです。(ちなみに旅立つ人にも生卵を持たせる習慣があり、いつも私は困っています。どうして旅の邪魔になるものを持たせるのだろう?) サービスが終わって出てきた人々は、長い行列を作ってミルクティーとお茶菓子を受けたあと家に帰り、午後また教会に戻り、今度はずっと歌い通しです。私は大鍋と大量のコップを洗いながら彼らの歌を聞いていました。夕方にまた家に戻り、食事をしてから夜にまた教会に行きます。私はキャンセルしました。

26日は教会の食事会です。この日は早朝から大鍋16個を使って、約3000人分の食事を作るのです。牛2頭、豚3頭、鶏数十羽を解体し、骨ごと蛮刀で叩き切った後に包丁でこま切れにして料理するのですが、あたりに肉片が飛び散り、体に生臭さが染み付き、その臭いは教会周辺一帯まで及び、気持ち悪くなりました。夕方になってそれは人々に振舞われたのですが、教会に3000人もの人が食事をするスペースは無く、人々は路上で壁に向かって皿を置き食べるのです。その光景が、まるで猿のようでした。

食事会

食事会

私は全く食べる気が起こらなかったものの、「今夜は家で夕食は作らない」と言われ、仕方なく食べたのですが、まずくてあまり口に入らず、結局その夜は腹を空かして非常に苦しんだのでした。

27日はやっと教会を離れらたと思いきや人々の往来が激しく、しかもアポイントも無く動くので、すれ違いも多く、一日中どこかでウロウロする有様。

28日は23日と同じ場所にまたピクニックに出かけました。

29、30日は新年のパーティーの準備、と言うより人々を訪問しながら打ち合わせと酒探しをしていたようでした。こちらは禁酒法がありますので、人々は酒が調達できません。闇酒探しです。変な話ですが、私は外国人で、特別許可を頂いているので、政府から合法的に買えるのです。取締りで没収された酒は、この特別許可を持った人に安く売られるのです。私は我が家の畑に出ていました。

31日は人々は一日中教会、夕方になってパーティーの準備、そして、ここからがクリスマスと全く同じなのです。酒を飲んで、欧米のロックミュージックに合わせて踊りながら新年を迎え、1日は朝から教会、夕方からクリスマスと全く同じメニューの教会の食事会、やはりまずい。そして2日は人を訪ねたり訪ねられたりで、クリスマス休暇が終わったのでした。

結局、ミゾラムの人々にとってクリスマスのどこが楽しいのか、理解に苦しむ長い休暇でした。 一つだけ、この年齢になって初めてわかった事として、クリスマスカードの「Merry Christmas and Happy New Year」と言う表現。日本ではクリスマスと正月は別なので、クリスマスが終わるとすぐに正月の飾り付けになりますが、ここでは今もクリスマスが飾られたまま。クリスマスと新年は同じなのですね!

さあ、今年は彼らに仕事をさせるぞ!