サークル・ミゾラム
[ HOME ]
背景

 

第二次世界大戦の最中の1944年、日本軍は当時イギリスの植民地であったマニプール王国の首都インパール(現在のマニプール州州都インパール)を攻略するための作戦行動に出ました。映画『戦場に架ける橋』でも有名なインパール作戦です。インパール作戦については多数の戦記や回想録が刊行されていますが、この作戦は第二次世界大戦史の中でもっとも悲惨な戦いの1つで、膨大な数の犠牲者を出しました。

原因は熱帯のジャングルでした。雨季の熱帯のジャングルを行軍するのはそれだけでも体力の消耗が甚だしく、食料の補給もままならない中、疫病や飢えに多くの兵士がこのジャングルで倒れてゆきました。実際、攻撃目標のインパールに辿りついた者は僅かだったといいます。作戦自体が無謀だったとはいえ・・・。


軍隊さえも拒絶したこの熱帯のジャングルが、現在ではハゲ山になっています。その原因は、焼き畑農業にあります。焼き畑はこの地方では伝統的に行われていた農業ですが、近年の人口増加による食料確保のために、その面積は拡大する一方です。山焼きのサイクルも短くなり、地力が回復する前の再び山を焼いてしまいます。その結果、思うように収穫量が増えないため、新たに別の森林を焼くことになります。

山焼き
赤線で囲まれた部分は山焼きの跡

しかも一度利用した土地は手入れされることもなく野放しにされます。畑を急勾配の傾斜地に作っているために、雨や地滑りなどで表土が簡単に流出し、痩せた土地ばかりが拡大するという悪循環に陥っています。せっかく種を撒いてもその種が流されてしまうことも少なくありません。

ハゲ山

また毎年新たな土地を探さなければならないことから農民は定住ができず、その子供たちが教育を受けるのを難しくしている状況も作り出しています。

ここまで自然を破壊していながら州の米自給率は30%、野菜も70%たらずです。州政府は焼き畑による森林破壊を防止しようと果物の栽培を奨励していますが、果物はインド全体で過剰気味です。しかも山岳地帯のため都市部への輸送条件も悪いため、政府の指導に従わない農民がほとんどです。このまま焼き畑が続けられると、作物が育たず人も住めないただの岩山になりかねません。

焼き畑は自然の循環に沿って行えば熱帯地方に適した農法と言うことはできます。ただし、環境破壊が顕著に見られ、自給ができない状況に陥っている今、この地域に適した農業技術の構築と普及は急務となっています。焼き畑を続けながら技術の向上を図るか、それとも焼き畑に代わる新しい技術を構築するかは今後の研究にかかってきますが、現状を変えることが必要です。これはミゾラムの土地や民族の崩壊にまで関わる重要な問題なのです